世界は反転した

人や世界を占う上で大切なことは、私たちが生きる現代がどのような時代の流れの中にあるのかを知ることです。

今、世界中の人々が自己の内側に起こる意識の変化を経験しています。

この意識の変化は時代の変化と共にやってくるものですが、とても個人的なものでもあります。

なぜ時代の変化が個人的なものなのかというと、人というのは、個人個人が自分に与えられた宇宙の中に住んでおり、己(おのれ)の意識の状態によって、パラレルワールドを毎瞬毎瞬移動しているからです。ですから時代の変化が全人類に平等に訪れたとしても、その波をどように経験するかは、人によって天と地程の差があるのです。

さて、話を戻しますが、これまでの世界は物質文明であり、人々は自分の外側に価値を見出してきました。その象徴がお金やモノであり、また学歴などに代表される権威だったと言えるでしょう。

長く続いたこの時代に、人々は自分が物事を見るという視点よりも、自分が誰かから見られ、評価されるという観点を重視するようになっていきました。しかし本来は逆なのです。人は見られ過ぎると、萎縮してしまい、己の可能性が限定的になるという一面があります。つまり、人というのは本来、見られるという意識よりも「自分から見る」という意識の方が主であり健全なのです。

しかし、これまでの世界は、ある意味、時代そのものが逆転していたのです。だからこそ逆転した価値観が主となっていたのです。つまり、お金という自分の外側にあるものに価値を置く時代というのは、本来の人間の意識構造からすると、反転した時代であった訳ですが、時代そのものが反転していたため、そのような価値観でも良かったのです。

さて、冒頭に書きましたように、時代の流れは2012年あたりを境に反転しました。つまり、自分の外側に価値を置くという時代から、本来主である自分の内側に価値を置くという流れに変化したのです。これはとても大きな時代の変化で、これから、あらゆる面でその現象化が起こってくることが予想されます。

これまでは、お金を軸に人生を考えれば良かったのですが、時代の転換と共に、自分の中に価値を見出す時代が到来した為、これまでと同じ価値観のまま新時代を迎える人々は、ことごとく、物事がうまくいかなくなるでしょう。

時代の変化によって、破滅的な結末を迎える人もいれば、時代の流れにいち早く気づき、意識改革をした人々はこれから起こる劇的な変化を楽しみながら乗り越えていくことでしょう。全ては自分がどのような意識状態にいるかにかかっていると言えます。

お金に価値を置く時代というのは、大金を手にできる一部の人だけが幸せになり、それ以外の人々が無力感を感じる時代でした。本来あるべき状態から逆転したこの世界では、人からの評価に翻弄され自殺する人や、精神を病む人が後を絶ちませんでした。

しかし、到来した新時代は、自分の心が満たされるということを価値基準の頂点に据えた、本来あるべき姿の時代なのです。そして、全ての人が満ち足りた幸福な人生を送る可能性を秘めた時代です。

五柱推命とは

五柱推命とは人の性質や未来の運気を知るための学問です。算命学や四柱推命の根底に共通して流れる原理原則を紐解き、五柱推命論として学問体系の確立を目指しています。

五柱推命は四柱推命と同様に、年柱、月柱、日柱、刻柱(時柱)を用いて占いますが、五柱推命では五つ目の柱である分柱が存在すると考えます。

分柱は他の柱とは異なり、自己を表す柱というよりは、配偶者など身近な人々から影響を受ける柱です。つまり自分が誰と付き合うかによって、自分の性質の一部(特に正義感や倫理観)が変化するという原則を示しています。分柱を実際の占いの現場で使うことはありませんが、占う方の身近にいる人物が、どのような命式の持ち主であるかが、本人に大きな影響を与えるということを念頭に置いて占うことが大切です。

現在、算命学や四柱推命は多くの流派に分岐していますが、流派が分かれてしまう根本的な原因は、学問の根底に流れる原理原則が分からなくなっているところにあります。原理原則が分からないので、当然、各々の解釈に差が生じ、結果として分派してしまうのです。もし原理原則が明確であれば、占いの解釈に大きな差が生じることはなく、流派が分かれてしまうこともありません。

特に算命学と四柱推命は、元々同じ原理原則を使った占いであるにも関わらず、算命学は三柱で占い、四柱推命は四柱で占い、解釈も異なる部分が多々あります。しかし本当は三柱でも四柱でもなく、五柱あるという原理原則を基に、改めて理論構築を行えば、算命学や四柱推命の統一理論としての五柱推命を確立することが可能であると私は考えています。

五柱推命の構築にあたり、算命学や四柱推命だけでなく、的中率の高い数秘術等も取り入れながら、精度の高い理論の構築を目指しています。