自然界という場に調和する

前回は、人が創り出す「場」というものに人が支配されるという説明をしました。

そして、これまで場を創り出す価値観の頂点に君臨してきたのが「お金」だというお話をしました。

しかし、よくよく考えてみれば、これらの場とは精神的なものであり、ある意味で人間が創り出した幻想です。言わば、幻想を皆で共有し合い、精神的な制約を課して、自ら行動を制限しているような状態なのです。

一方で、人間は全く種類の違う場にも支配されています。

それは自然界です。精神的な場ではなく、物質的な場ですね。

例えば僕たちは日本という場で生きています。

一つ上の階層に行けば、地球という場があり、更に上には太陽系、その上には天の川銀河、さらに上には銀河団というように、やはり宇宙も階層構造になっており、上層の場が、下の階層の場を支配しているという構造になっています。

そして、自然界にはどの階層にも比較的共通するルールがあります。

その一つが円です。

例えば銀河は中央のブラックホールを起点に渦巻いています。いわゆる円運動をしている訳です。

また、太陽系は太陽を中心に、地球などの惑星がやはり円運動をしています。

月も地球の周りを円運動していますね。

そして地球自体は自ら回転、つまり自転をしています。

一つ下の階層の地球に降り立つと、そこには台風や竜巻が起こりますが、これも円運動に似た現象です。

生物を見ても、花は基本的に円形ですし、木々も中心から外側に向かって円形の年輪を作ります。水滴も円というか球形ですね。カタツムリや巻貝も円に似たいわゆる螺旋構造になっています。

もっと言えば、僕たち人間の頭には「つむじ」があります。人間の身体にも、何らかの円形ルールが適用されているのかもしれません。

更に、一気に下の階層まで下りると電子が原子核を中心に回っているわけです(厳密には確率的に存在しているわけですが)。

つまり、僕たちが生きている自然界は、何か円形や球形に物事が収まるような場の力が働いていることになります。

ということは、ザックリ言えば、自然界を支配している、なんらかの力(場)にうまく沿って生きることができれば、もっと楽に生きることができるということです。

逆を言えば分かりやすいのですが、例えば地球の自転を止めようとしても無理ですよね。もう、それは地球の自転に従ってその中で生きていく他ないのです。

つまり、どうすれば人間はもっと自然界の創る場に沿って生きることができるか考えるべきだと思うのです。

それができたならば、心には絶対的な安心感を感じながら生きることができるかもしれません。現代人は何か、心の中心を失ってしまった様な、糸の切れたタコの様な状態になってしまっています。

常に誰かと繋がっていないと不安や寂しさが襲ってきたり、だからこそ、嫌でも社会との繋がりを求めて家の外に繰り出すわけですが、結局、人間関係に疲れ切ってしまう。本来、心の中心にあるべき何か大切な軸を失ってしまっているように見えるのです。

もしかすると、それは人間が自然界との繋がりを絶ってしまったことに原因があるかもしれません。

コンクリートとアスファルトに固められた地面、命を育む大地から離れた場所に寝泊りする高層マンションという住まい。僕たちの命を支える食べ物は、全て大地から生まれているというのに、気づけば何日も大地に触れることもなく生きる毎日。そんな自然との断絶が、徐々に心の喪失感を生み出しているのかもしれません。

樹齢何千年という大木の前に立つと、何か畏敬の念や壮大さ、絶対的な安心感を感じるのは、人と自然が本来、もっとつながって生きるべきだということを教えてくれているのかもしれません。

伊勢神宮や屋久島には樹齢何千年という大木が数多く残っていますが、これらの森が創り出す場は何度訪れても神秘的な感覚、何か脳の奥まで冴え渡るような新鮮さを感じさせてくれます。

本来、人はその神秘的な感覚に包まれながら生きるべきなのかもしれません。

そう考えると、僕たちが失ってしまった大切なものの一つは森かもしれませんね。でも取り戻すことはできます。

最近はキャンプや登山をする人が増えていますが、これらの活動は、人の心のあるべき状態を思い出させてくれるのかもしれません。

人はもっと自然と融和しながら生きていくべきなのでしょう。そして、どのような形がベストなのかはまだまだ探求していく必要があると思いますが、例えば、「畑のある家」が一般的になり、毎日、土に触れていれば、それだけでも心の安心感は増すかもしれません。

また、森や川や湖や海は、危険な場所として、完全に人間の生活と切り離してしまっている場所も多いですが、何か安全な形で、人がもっと自然に触れることができるような場を増やすことができれば、人々の心はもっと満たされるかもしれません。

先程の円形というキーワードを元に考えると、例えば家の形も円形にすると、より心が落ち着くかもしれません(あくまで可能性です笑)。現在はほとんどの家が四角ですが、それは技術的な制約が大きいからですね。曲線の壁を作るのは難しいのです。でも、もしかすると円形の家の方が心が安らぐかもしれませんし、もっと言えば、ベッドの形も、人間の身体に合わせて作れば、本来は上半身側を大きくした扇形のベッドの方が、ゆったりと寝られると思います。

ちなみに円形の家は、3Dプリンターで家を創る時代になれば、簡単に実現するでしょう。

街の形ですら、円形に設計して、例えば中心に公園を作っても良いのかもしれません。福祉大国のデンマークでは円形の集落が実際に存在しています。

何が言いたいかと言えば、人がどうしたら、より自然の創る場と調和できるかという観点を、もっと探索すべきではないかということです。人の心の喪失感が自然との繋がりで取り戻せるのであれば、自然と融合した街づくりを意識的に進めることで、人類は大きな幸福を手にすることができるかもしれません。

よく、山の中にあるポツンと一軒家を取材しているテレビ番組などがありますが、あんな人里離れた場所でも、健康で長生きしていられるのは、自然との繋がりが心を満たしているからではないかと思ってしまいます。

さて前回の記事で、次世代の価値観のトップに来るべきものは「幸せ」ではないかと提案しました。そして、お金ではなく、幸せが人間社会の価値基準の最上位に来れば、必然的に今回お話した自然との繋がりを思い出す方向に人は進んでいくことでしょう。

心の喪失感を豊かな自然との繋がりで思い出しながら、様々な幸福の形を追求していけば、より幸福な社会を実現できるかもしれません。

現代人が考える幸せの形とは、まだまだ画一的で窮屈です。家族のあり方や、子育てのあり方、組織のあり方など、もっともっと、様々な幸福の方法が見つかっていくはずです。

誰にでも両親がいて、両親には更にその両親がいますが、そうして500年ほどさかのぼれば、日本人全員がほぼ血族になる計算です。そう考えると、家族という単位で人間を区切ることも、もしかしたら不自然なのかもしれません。町内のどこかに子供が生まれたならば、自分の家族の一員が増えたという感覚で見ることもできるのです。

人が創る場の最上位に「幸せ」という価値観を置き、地球という場が創り出す自然と調和する生き方を追求すること。

この両輪により、人は今よりも素晴らしい世界を実現させることができるのではないでしょうか。

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