11次元と宇宙法則

さて、M理論(Mりろん)とは、現在知られている5つの超弦理論を統合するとされる、​11次元(空間次元が10個、時間次元が1個)の仮説理論になります。

これらの宇宙構造と、バシャールが言う宇宙法則法則について、私のアイデアを紹介したいと思います。

まず、バシャールの宇宙法則をご紹介しましょう。

①あなたは永遠に存在する

②全ては今、ここにある

③一つは全てであり、全ては一つである

④自分の与えたものが、自分の受取るものである

⑤全ては変化する、ただし①~④を除いて

今回は、この①~⑤がどのような原理でそうなっているのかを、簡単に解説するために、以下の次元構造の解釈をご紹介します。これは、あくまで、解釈(見方)の一つであり、自分の意識を中心に考えた場合の喩えということになります。

【0次元】

0次元とは、概念上は無のことをさしますが、宇宙は無ではないため、ここでは0次元は点(これ以上分割できない、最小のチリのようなもの)とします。宇宙は有か無か、という視点で見ると、明らかに宇宙は有なんですね。宇宙に無という概念を持ち込むと、宇宙の構造が成り立たなくなります。無とは、無でおなか一杯であり、あらゆる他の概念を排除する、それが無だからです。ですから、ここでは、0次元という概念を点(最小のチリ)とお考えください。

【1次元】

1次元とは線を表します。

【2次元】

2次元とは面を表します。

【3次元】

3次元とは立体空間を表します。

【4次元】

4次元は、3次元空間に時間軸を加えることで、成立します。これが、私たち人間が生きている次元ですね。

【5次元】

5次元世界とは、私たちが生きる4次元に加え、その過去から未来を全て見渡せる次元であり、視点となります。脳はこの5次元世界にアクセスすることができる為、私たちは過去を思い出すことが出来るし、未来をシミュレーションすることができます。余談ですが、脳とは、脳内で全てのことを考え出しているわけではなく、様々な次元にアクセスをするアンテナの役割を果たしているのです。

【6次元】

6次元とは、私たちの過去から未来全てを見渡せる上、自分が生きる全てのパラレルワールド全てを見渡せる次元となります。私たちの直感力はここからきており、直感の鋭い人というのは、無数のパラレルワールドにアクセスしながら、自分にとって最善の道を感じ取る力があるのです。それが直感力です。つまり、脳は6次元にもアクセスできるよう、デザインされているのです。

【7次元】

7次元とは、自分の過去から未来の全てのパラレルワールドに加え、他人や、動植物、宇宙人など、自分以外の生命体の全ての過去から未来、そして彼等のパラレルワールドを見渡せる次元となります。この次元に入ると、自分と他人は同一の次元から派生していることが理解できます。ソウルメイトや、グループソウルなども、6~7次元の狭間にあると言えます。

バシャールの宇宙法則、「自分の与えたものが、自分の受取るものである」とは、この次元からきています。つまり、自分と他者は元をたどれば同じ次元から生じているのです。ただし、私たちが生きる3~4次元空間では、自分が与えたものが、自分に戻ってくるまで、タイムラグが生じることは多々あります。一方で、7次元上の俯瞰した視点から見れば、与えたものが即、自分に返って来ているということは一目瞭然なのです。

【8次元】

8次元とは、7次元に加え、私たちのいる宇宙内の、物体の意識、星の意識、空間の意識、そして、私たちが未だ認識できないダークマターや、ダークエネルギーなど、それら全ての過去から未来、そしてパラレルワールドの過去から未来まで、すべてを見渡せる次元であり、すなわち、それは、私たちの宇宙、そしてそのパラレル宇宙の全てであると言えます。

【9次元】

9次元とは、ある意味、宇宙を生み出す次元と言えます。ビッグバーンもここから生じます。9次元があるからこそ、8次元である私たちの宇宙が生じると言えますし、それは、どの次元においても同じことが言えます。さて、9次元からは、私たちのいる宇宙以外の無数の宇宙、そしてそのパラレル宇宙が生み出され、それら全ての宇宙とそのパラレル宇宙が存在する次元が9次元ということになります。

【10次元】

10次元とは、9次元すなわち、全ての宇宙とそのパラレルワールドが無数に生み出される次元が、さらに無数に存在する次元であり、それはもはや、この世の全てであり、これが大いなる全てとなります。

【11次元】

11次元とは大いなる全ての上にある次元、それは、何もない空間であり、点なのです。お気づきの方もいるかと思いますが、そうです、0次元に戻ってきました。

このように宇宙構造とは、ある意味、このように壮大な次元ループ構造とも言えるのです。これは喩えであり、あくまで、宇宙を解釈するアイデアの一つですが、人間が大いなる全てを理解する上では、分かりやすい喩えかもしれません。

ここまで述べてきたように、宇宙とは点であり、大いなる全てなのです。

だからこそ、バシャールの言う宇宙の法則「一つは全てであり、全ては一つ」なのです。

また、「全てが今、ここにある」ということもこれで説明がつきます。

さて、過去から未来という概念はあくまで、4次元世界に生きる私たちの視点であるということがわかります。もっと上の次元から見れば、過去も未来も無数のパラレルワールド自体も、流動的に変化し続けており、それ自体が宇宙の生命なのです。だからこそ、バシャールの宇宙法則「全ては変化しつづける」ですし、時間を超えた次元では、過去や未来という私たちのリアリティを簡単に超越しており、そこには、ただ、「永遠に存在する」という絶対的な安心、つまり、愛があると言えるのです。つまり、私たちを4次元にしばりつけている、時間という軸を外すだけで、私たちは永遠の存在であるということが分かってしまうのです。これでバシャールの言う宇宙法則を全て説明したことになりますね。

私も、学生時代に量子力学などをかじりましたので、ここに書いたことが、唯一の宇宙法則だなどと豪語するつもりは毛頭ありません。しかし、人間が宇宙を理解るすためのアイデアは様々な形態があってしかるべきだと思います。

自分の人生を魔法のように、次から次へと素晴らしい展開へと進めていくために、こういった概念やアイデアを胸におきつつ、どのように人生を創造していくかが大切となります。

今回は、宇宙の次元構造に対する、アイデアを紹介させていただきました。こういったアイデアを使いながら、自分の人生をどうクリエイトしていくかが大切なのです。

世界の支配構造

現在、世界を支配しているのは、一部の金融資本家達です。

金融資本家は、通貨発行権、株式市場、司法を抑えることで、実質的に世界を支配しています。

たとえば、日本の通貨発行券を持っているのは、日本銀行ですが、その株主は55%が日本政府、残り45%は非公開です。非公開の45%とは、いったい、誰が所有しているのでしょう。言うまでもなく、その多くは世界の金融資本家たちが握っていることでしょう。

また、日本の株式市場では日本銀行が最大の株主となっていますが、日本銀行が最大の株主ということは、日本銀行自体を持っている一族(金融資本家)が、実質、日本の株式市場の最大級の株主と言えます。

金融資本家たちは、世界中をこの仕組みで支配しています。国によっては、自分たちの息のかかった法律専門家を司法の重要ポストに送り込みます。

さて、日本から優良企業が生まれれば、彼ら(金融資本家)は上場するよう促していきます。そして、実際に上場すれば、創業者には大金が手に入ります。上場の際には、一般的に株の値段が爆上げしますから、創業者には大金が手に入るのです。この仕組みにより、多くの創業者は上場して億万長者になることを目指し奮闘します。しかし、視点を変えれば、上場の瞬間、国内で産声を上げた大切な日本企業は、強制的に株の一部を他人に取られてしまうのです。そして、徐々に、創業者から支配権は奪われていきます。

仮に、創業者が自分の代で、ある程度の株を守りきったとしても、相続が発生すれば、莫大な相続税が加算され、途端に創業者一族の力は弱まってしまいます。このようにして、金融資本家たちは、自分たち以外に、実力者一族が育たないよう、相続税というシステムで、未然に防いでいるわけです。

もちろん、日本の相続税が強化されたのは、戦後のことですね。戦前の日本が、小国だったにも関わらず、あそこまで強かった秘密の一旦は、家督相続によるもので、一族の資産が維持できたからです。しかし、この家督相続制度は戦後に解体され、今では、資産家一族も、3代経てば、皆サラリーマンになるしかないような法律が整備されているのです。

そんなこんなで、上場した企業も、歳月の経過とともに、日本の会社とは言えないレベルまで外国人投資家に株を買われていたりします。日産などは、その分かりやすい例ですね。

つまり、若き経営者に上場して大金を得るという夢を見させ、そこを目指そうとさせる株式市場のシステム自体が、金融資本家たちに支配される支配構造の入口になっているわけです。だからこそ、彼らに支配されない為には、株式を上場しない方が良いのです。

民放のテレビでは、金持ちをセレブなどと言って、崇拝するような風潮が見られますが、これこそ拝金主義的であり、奴隷制度を精神的に強化していることを知らねばなりません。言うまでもなく、テレビこそ、金融資本家たちの洗脳システムなわけです。

上場企業で働いたことのある方ならお分かりかと思いますが、上場企業とは、まさに、利益至上主義なのです。企業によって多少の差こそあれ、そこで働く人々は、利益を上げるために、朝から晩までひたすら働き続けなければなりません。彼等は、エリートとという仮面でカモフラージュされた、奴隷かもしれないのです。成績優秀で周りから賞賛されながら育った彼らが、エレベーター式に上り詰めた先にあるのが、奴隷という職業なのであれば、悲しすぎます。しかし、少なくとも今の世の中にはそのような一面があるわけです。

大企業とは、人間が創り出す創造性の一面ですから、非常に素晴らしいものですが、本来は、株主の為に働くのではなく、日本の中小企業に多く見られるような家族経営のように、自分の為に働き、会社のために働き、社会のために働くことが健全であるのは言うまでもありません。「株主のため」は不要です。

一方、個人事業主など、小さな規模で動いている人々は、本来あるべ姿でイキイキと仕事を行うことが、多くの場合できるのです。個人事業主は何を目指すのかも自由ですし、時間の使い方も自由です。金融資本家たちは、貧乏人には興味がないため、この個人事業主の領域においては、ある意味、おおきな自由があると言えます。

つまり、同じ日本にいながら、平和と自由を満喫している人もいれば、世界の奴隷支配構造の一角で、肉体的にも精神的にも、とても苦しい状況にある人もいます。

さて、ここまでで色々とお話してきましたが、実は、金融資本家たちは既に次の支配構造に向かおうとしています。お金で支配する時代に、終わりが見えてきているということでもあります。

だからこそ、本当に自分にとって、価値ある生き方を考え、それに取り組むことが大切だということが言いたいのです。支配している側が、次の支配構造への移行を目指すということは、私たちが自由を取り戻すチャンスでもあるのです。

考えてみてください。もし、日本人の誰一人として、上場企業で働かなくなったら、日本は、彼らにとってはとても支配しにくい国になるはずです。これは極端な例ではありますが、日本人、一人一人が、自分が目指すべき場所を本当に目指せば、必然的に、彼等の支配構造から脱却していくことになるのです。

では自分の目指すべき場所とは、どこなのでしょう?

それは、自分が何に楽しみを感じるか、何にワクワクするか、自分の内側に問いかけていくことです。自分自身の内面に対してアンテナを張るのです。そうやって、一人一人が、自分自身の人生を追求することが、次なる世界で、私たちが自由を取り戻すための第一歩となります。

生きる意味

生きる意味とは何か?

先に答えを言ってしまうと、それは、体験です。

私たちは大いなる全てから生じた存在ですが、では、大いなる全てがなぜ私たちを創造したのか。その理由は、まさに、大いなる全てが体験を求めているからです。私たちは大いなる全ての部分的存在であると同時に、己の内に大いなる全てを含んでいる存在でもあります。つまり、自分から選んで様々な体験をしているということです。

全ての時代の人類が、皆、一人一人違う体験をしますが、それら全てに価値があるのです。

楽しい体験、嬉しい体験、辛い体験、苦しい体験、ありとあらゆる全ての体験に価値があり、その総和が、大いなる全ての豊かさにつながるということになります。そこには、何が正しく、何が間違っているかという判断基準はなく、文字通り全ての体験が豊かさとなるわけです。

では、大いなる全ては善なのか、悪なのか、という疑問を持つ方がいらっしゃるかもしれませんが、大いなる全ては、善や悪、そしてそれらの概念を生み出す宇宙の根本的な構造をも含む、さらに、それ以上の存在であり、そういった観点から見ると、大いなる全ては善でしかありえないと言えるのです。

言い換えると、体験・経験がなければ、意識は何も感じることができずに、ただそこにあるだけです。体験・経験を人類の生きる3次元空間だけでなく、地球外生命体や神々を含む様々な存在が活動をする、あらゆる宇宙やあらゆる次元において、創造しているという事実を持ってすれば、大いなる全ては善でしかありえないということです。

これは、無か有か、あなたはどちらを選びますかという問いにも似ています。無であれば、そもそも、なにも無いわけです。世の中は有であるため、全ての体験がありえるのです。そういう意味で、大いなる全ては有であり、善であるのです。さもなければ無ということになります。

さて、話を戻しますが、人類は、全てを忘れて生まれてくるという、特殊なゲームを行っているわけです。何が特殊かというと、自分が大いなる全てや、魂(大いなる全てに比べればより個人的な集合存在)とつながっているという感覚を、完全に忘れている点、これが特殊だということです。

自分が大いなる全てや魂の一部であることを完全に忘れるということは、自分が創造的な存在であるということを完全に忘れるということであり、自分の本性を忘れて人生を体験するという点が、非常に創造的だということになります。自分の本来の創造性を忘れることが、別の観点から見れば、とても創造的だということです。

そもそも、私たちの生きる3次元空間で見えるもの全ては、あなたが創っているものであるということを、あなたは忘れています。あなただけでなく、人類はほぼ全員、そのような同意の下、地球に生まれてくるのです。

たとえば、3人の人が同じ椅子を囲んで、その椅子を見ていた場合、その椅子は、3人がそれぞれ創造した椅子を見ているのです。そこで、椅子は3つ創造されたことになります。ただ、3人の見ている椅子は同じものであるという同意を3人がしていることになるため、椅子はあたかも一つしかないように見えるのです。ざっくり言うと、人間は、これを人類全体でやっているのです。(これはたとえ話です)

だから、自分が創造主としての能力を持っているという事実が分かりにくいんですね。本来、自分の想像力によって生み出された物質も、自分で創ったわけではないと感じてしまうのは、人類の集合意識による共通の同意の仕組みによって邪魔され、覆い隠されているからなのです。

つまり、あなたが手にしているスマートホンも、あなた自身が創造していると言えるのですが、スマホという概念を人類全体で共有することにより、各個人がスマホを自分の人生の中に創造しているということは、完全に覆い隠されてしまっているのです。ほぼ全ての人が、スマホはどこかの頭の良い人が創ったもので、自分はその生産工程には全く関係ないと考えていることでしょう。もちろん、私たちの次元から見ば、それはまさに、正しいわけですが、本来のもう少し高いリアリティ次元からみれば、各個人がスマホをいとも簡単に創造しているというのが現実であり、それほど、私たちの本性(それは魂とも呼べるわけですが)は、創造的なのです。ただ、その叡智を完全に忘れて、また、あえて、創造性を極めて限定したように見える状況を創りだし、その中に人類は生まれてきている、そういうゲームをしているということです。

しかし、ここからが面白いののですが、これまで人類は完全に忘れるというゲームをしていたにも関わらず、今、次なるゲームテーマとして、大いなる全てや魂とのつながりを、この地球上にいながらにして、皆で思い出すという難解なゲームに取り組もうとしているわけです。まさに上級編ですね。

そもそも、私たちは大いなる全てから生み出された存在であり、いくどもの輪廻を経て、最終的には、人類としての学びを終えて、次の段階へと進んでいきます。ただ、次のステージに進むためには、魂や大いなる全てとのつながりを、人間として生きている状態のまま、多くの人が思い出す必要があるわけです。完全に忘れた状態から思い出すというのが人類が今取り組もうとしているゲームの最終局面であり、それは難解であるからこそ、本来の自己を再発見しる時に大きな感動もあるわけです。

さて、ここで冒頭の疑問、なぜ私たちは生きているのかという問いに戻ります。

私たちは人間として生きることで、様々な体験をし、その全ての体験が大いなる全ての豊かさにつながるわけですが、人類全体で取り組んでいるゲームは、ただ体験して終わりではなく、最後に、皆で思い出す、という部分がセットになっているという説明をしました。

昨今のスピリチュアルブームは、まさに、その前兆と言えるでしょう。人類全体が今、少しずつ目覚め始めているわけです。2020年~2021年はコロナウィルスによるロックダウンで、在宅時間が増え、多くの人々が自分自身と否応無しに向き合わねばならない状況となっていますが、それはある意味必然なのです。なぜなら、自分自身と向き合うことによってしか、本当の意味での気づきを得ることはできないからです。思い出すとは、結局、自分自身を知るということなのです。人類全体が思い出す方向に向かおうとしているからこそ、多くの人々が自分自身と向き合わなければならない状況となっています。

ということは、今、人生に迷う多くの人々がいると思います。なぜかというと、ただ、経験すればいいというこれまでの人類の人生観から、もうワンステップ上の、思い出すという上級テーマへ向かっているからです。

ただ、焦る必要はありません。人生とは、まずは、今自分が置かれている状況を楽しみ、精一杯生きれば、それで良いのです。人生を楽しむことができている時点で、様々な気づきを得て行く流れには、既に乗っていると言えます。

しかし、楽しみを感じられない人々も多くいることでしょう。日々、仕事や学業の中に苦しみや辛さが溢れているのであれば、あなたは人生のターニングポイントに来ていると言えます。そんなあなたは、自分はこの人生で何をやりたいのかを考え、自分がやりたいと感じる方向に向けて、行動に移す時です。自分のやりたいことをやってみる、そして、やりたくないことを人生から消す。これが、大いなる全てへ帰還する第一歩です。ただし、15歳くらいまでの若年層の方々は、人間としての学びをスタートさせる土台を作るためにも、ある程度は学業に励むべきでしょう。

さらに、自分はもう十分、人生を楽しんだという人もいるかもしれませんし、はたまた、宇宙の真理を知りたいと考える人もいるかもしれません。そんな人は、自分の内へと向かう旅に出る時です。世の中には既に、真実の書かれた書物も出ていますのでそういったものを見つけ、読むと良いでしょう。

しかし、覚えておかねばならないのは、最終的には、自分自身の内面にしか、本当の意味での答えは無いとういことです。己の内面の中に、真の叡智を見つけるのです。繰り返しますが、最終的な答えは書物やインターネットには無いということです。ある程度までは参考にできたとしても、最終段階は、常に、自分の内面にあることをお忘れなく。

さて、真の叡智を自分の内側に垣間見る人間が増えれば、それは少しずつ人類全体に拡散され、ある点まで到達すれば、一気に広がることでしょう。

ここまでくれば、人類はこのゲームをオールクリアしたことになり、多くの人々(存在)が次のステージへと旅立っていくのです。この時、現実世界では様々な技術が同時多発的に、かつ爆発的な進化を遂げ、人類は宇宙へ旅立つだけでなく、様々な次元への探求もより深い意味で開始するのです。

物質化への扉

さて、私は意識が全ての現実を創り出していると考えています。

なぜそう思うのかを説明するために、私の体験を少しご紹介します。

私の父はサラリーマンでした。20世紀後半を支えた、いわゆる企業戦士であり、エンジニアだったんですね。

そんな父から私が教わったのは、気合、根性、努力でした。団塊の世代を親に持つ方々は、多かれ少なかれ、このような価値観を基礎としていた部分があるのではないでしょうか。

しかし、私が社会人になってしばらくした頃、気合、根性、努力だけでは、生活を豊かにすることはできないということに、明確に気づいたんですね。ここで言う豊かさとは、金銭的な自由と、時間的な自由です。

結果、自分で事業を始めるという思考が生まれたわけです。このように、親から植え付けられた価値観を切り替える為に、私に必要だった第一歩は、気合でも、根性でも、努力でもなく、自分の思考でした。

かくして、私は自分で事業を始めることにしました。思考が現実になったのです。そして、ある程度の自由を手に入れることができるようになりました。

あえて繰り返しますが、まず思考があり、それが具現化したのです。ここが重要なのですが、思考とは、実は、扉なんですね。

多くの人は思考はしています。しかし、その思考自体が、扉になっているということを全く認識していないんですね。だから、ほとんどの場合、思考をして、良いアイデアがあっても、その扉を開こうとしませんし、そうこうする内に、思考は記憶の海へと埋没してしますのです。

しかし、思考は扉だと明確に認識すれば、その扉を開いてみようかな、という気持ちにもなるはずです。多くの人が、自分が理想とする人生を送ることができないのは、思考によって現れた扉を開かないからです。

扉を開くとは、つまり、行動を起こすということですが、「行動」と聞くと、人は途端に面倒くさいと感じてしまうんですね。しかし、思考を行動に移すとは、実は可能性に満ちた未来への扉を開けることであり、扉を開けると、想像以上の、別世界への道が開けるのです。そして、一つ扉を開くと次の扉が現れ、またその扉を開くと次の扉が現れ、その繰り返しが、大いなる具現化のプロセスとなり、自分の人生が一気に変わっていきます。

だからまず、一つ目の扉を思い切って開くことが大切ですし、いわゆる、大物と言われる人は、この扉を開くという行為を日常的に行っているからこそ、自分の現実を次々と変えながら、創造のプロセスを楽しんでいるわけです。

さて、ここまで力説しましたが、21世紀現在、ほとんどの人が、一つ目の扉を開きません。それだけ、現代人の多くは、様々な固定観念に縛られて、がんじがらめになっているのです。私も自分自身がそうだったので気持ちは良く分かりますが、ぜひ、多くの人に扉を開きまくる人生を送っていただきたいと思います。

思考とは未来からのインスピレーションです。あなたが何かをやりたいと思ったその瞬間、それを成し遂げた未来の自分からメッセージが来る、それが思考であり、アイデアです。だからこそ、思考とは理想の自分へと向かう扉なのです。

あなたも、さっさと、その扉を開いてください。

私も、そうします。

法華経

法華経という書物をご存知でしょうか?

お釈迦様の教えの中でも、法華経が最も素晴らしいと言う歴史上の偉人が多くいますね。

今回は、そんな法華経を読んでみた感想を書いてみようと思います。

まず、法華経を読みながら感じたのは、とても霊的な書物だということですね。これは、言葉の裏に、様々な宇宙の真実が詰め込まれているという意味です。裏を返すと、法華経を読んでも、ほとんどのページで、何を言っているかよく分からない、と感じる人が大半でしょう。

それもそのはず、法華経を理解する為には、たとえば、パラレルワールドの様な、宇宙の本質的な概念を、ある程度備えていることで必要です。様々な例え話で展開する法華経の物語は、それらの概念無しに読むと、大半がちんぷんかんぷんです。

今回は、そんな法華経について、私の解釈を提示させていただきたいと思います。

さて、法華経とは、一言で言うと、宇宙の鼓動を促す書物と言えるでしょう。前回の記事で書きましたが、存在の全て(大いなる全て)は、自己を知る為に、自己を分割し、その結果、末端の存在として人間のような生物も創り出しました。

そして、人間は無数の輪廻(生まれ変わり)を繰り返し、自分自身を知るという学びを終えた後には、大いなる全てへと戻っていくわけですが(これの繰り返しが宇宙の鼓動)、戻る時に、どのように人々を導いていけばよいか、それを、指導する立場の人(菩薩[ぼさつ]と言います)に向けて書かれているのが法華経と言えます。

例えるなら、学校の先生の指導要領のようなものですね。だから、法華経は一般人ではなく、指導者層が読む書物と言えるのです。ここで言う指導者層とは、精神的に熟達している人々のことをさします。大いなる全てが分割しては、また一つに帰還し、また分割しては一つに戻る、この宇宙の鼓動について描かれていると解釈できるのです。

法華経は文庫本2冊分の量があり、教えの内容は多岐に渡っているのですが、一言で表現するのであれば、上記の宇宙の鼓動、そして、もう一つは教えの無限ループについて説かれていると言えるでしょう。

これを理解していただく為に、以下、法華経の不思議な世界観を味わってもらいましょう。

さて、お釈迦様が菩提樹の下で、たくさんの弟子に向かって教えを説かれました。お釈迦様は、それらの弟子達に向かって、「君達も転生して、如来(お釈迦様のような存在)になっていくのだ」と、予言を与えていきます。

もしかすると、今、この記事を読んでいるあなたは、お釈迦様の話を当時聞いていた弟子の1人だったのかもしれません。この場合、あなたは、今、私がこの記事に書いている内容を通して、今回の人生でも法華経に触れたことになります。この瞬間、あなたは時代を超えて、お釈迦様が教えを説かれていた菩提樹の下に、再び戻ってきている(つながった)ということを暗示しているのです。あなたは、不思議な力によって、今回の人生でも、法華経に導かれてきたことになります。あなたは、こうして、時を超えて再びお釈迦様の会合に参加する機会を得て、今回の人生でも、法華経を学び(もしくは、同じような題材を学び)、人に教え、いつかはお釈迦様のような存在にまで成長し、多くの人たちを導く立場となります。そうです、今度はあなた自身がお釈迦様のような、聖者となるのです。

そして、聖者になったあなたは、その人生で自分の弟子に対して教えを説いていきます。その教えの内容を聞いた、あなたの弟子たちが、さらに生まれ変わった別の時代で、今度はあなたがかつて残したであろう書物などに再び出会い、そこで、あなたがお釈迦様と再会したように、今度は、あなたとあなたの弟子が時代を超えた再開を果たすことになるのです。そして、今度はあなたの弟子が学び、成長し、聖者となり、教えを説く番になります。そしてさらにその弟子に教えを説き・・・、というように、教えの和が時代を超えながら無限に広がっていくのです。

実際に、法華経には、私が今ここに書いたのと同じような表現では書かれていませんが、各章を読み進めていくことで、このような、深読み・解釈に至るのです。法華経に書かれている内容は、ほぼすべてが例えであり、その為、自分の心の中に宇宙観(真実)を持っている人だけが、法華経を読むことができるという、不思議な鍵のかかった書物となっているのです。法華経は、文字を読みつつも、心と概念で読み解くという感触そのものなのです。

さて、話しを戻しますが、上記のような、時代を超えた学びの無限ループを、別の次元から見れば、人類が大いなる全てへ帰還するための、壮大なプロジェクトの一環とも解釈できますし、大いなる全てが、分割と帰還を繰り返す無限の鼓動を表現しているとも解釈することができると思います。これは、あくまで、私が持つ宇宙観から導き出された法華経の解釈であり、読む人によっては全く別の解釈が得られる可能性もあるでしょう。

ただ、法華経の第1ページ目には、「過去・現在・未来の菩薩たちに敬礼したてまつる」という文があります。なぜ、この一文から法華経は始まるのか。そこには、今回書かせていただいた様な、深い意味が込められているのですね。つまり、読む人が読めば、似たような真理に帰着することも予測できるんですね。

語り出すときりがありませんが、今回は法華経の不思議な世界観(私なりの解釈ですが)をご紹介しました。

もしかすると、次の聖者はあなたかもしれません。