法華経という書物をご存知でしょうか?
お釈迦様の教えの中でも、法華経が最も素晴らしいと言う歴史上の偉人が多くいますね。
今回は、そんな法華経を読んでみた感想を書いてみようと思います。
まず、法華経を読みながら感じたのは、とても霊的な書物だということですね。これは、言葉の裏に、様々な宇宙の真実が詰め込まれているという意味です。裏を返すと、法華経を読んでも、ほとんどのページで、何を言っているかよく分からない、と感じる人が大半でしょう。
それもそのはず、法華経を理解する為には、たとえば、パラレルワールドの様な、宇宙の本質的な概念を、ある程度備えていることで必要です。様々な例え話で展開する法華経の物語は、それらの概念無しに読むと、大半がちんぷんかんぷんです。
今回は、そんな法華経について、私の解釈を提示させていただきたいと思います。
さて、法華経とは、一言で言うと、宇宙の鼓動を促す書物と言えるでしょう。前回の記事で書きましたが、存在の全て(大いなる全て)は、自己を知る為に、自己を分割し、その結果、末端の存在として人間のような生物も創り出しました。
そして、人間は無数の輪廻(生まれ変わり)を繰り返し、自分自身を知るという学びを終えた後には、大いなる全てへと戻っていくわけですが(これの繰り返しが宇宙の鼓動)、戻る時に、どのように人々を導いていけばよいか、それを、指導する立場の人(菩薩[ぼさつ]と言います)に向けて書かれているのが法華経と言えます。
例えるなら、学校の先生の指導要領のようなものですね。だから、法華経は一般人ではなく、指導者層が読む書物と言えるのです。ここで言う指導者層とは、精神的に熟達している人々のことをさします。大いなる全てが分割しては、また一つに帰還し、また分割しては一つに戻る、この宇宙の鼓動について描かれていると解釈できるのです。
法華経は文庫本2冊分の量があり、教えの内容は多岐に渡っているのですが、一言で表現するのであれば、上記の宇宙の鼓動、そして、もう一つは教えの無限ループについて説かれていると言えるでしょう。
これを理解していただく為に、以下、法華経の不思議な世界観を味わってもらいましょう。
さて、お釈迦様が菩提樹の下で、たくさんの弟子に向かって教えを説かれました。お釈迦様は、それらの弟子達に向かって、「君達も転生して、如来(お釈迦様のような存在)になっていくのだ」と、予言を与えていきます。
もしかすると、今、この記事を読んでいるあなたは、お釈迦様の話を当時聞いていた弟子の1人だったのかもしれません。この場合、あなたは、今、私がこの記事に書いている内容を通して、今回の人生でも法華経に触れたことになります。この瞬間、あなたは時代を超えて、お釈迦様が教えを説かれていた菩提樹の下に、再び戻ってきている(つながった)ということを暗示しているのです。あなたは、不思議な力によって、今回の人生でも、法華経に導かれてきたことになります。あなたは、こうして、時を超えて再びお釈迦様の会合に参加する機会を得て、今回の人生でも、法華経を学び(もしくは、同じような題材を学び)、人に教え、いつかはお釈迦様のような存在にまで成長し、多くの人たちを導く立場となります。そうです、今度はあなた自身がお釈迦様のような、聖者となるのです。
そして、聖者になったあなたは、その人生で自分の弟子に対して教えを説いていきます。その教えの内容を聞いた、あなたの弟子たちが、さらに生まれ変わった別の時代で、今度はあなたがかつて残したであろう書物などに再び出会い、そこで、あなたがお釈迦様と再会したように、今度は、あなたとあなたの弟子が時代を超えた再開を果たすことになるのです。そして、今度はあなたの弟子が学び、成長し、聖者となり、教えを説く番になります。そしてさらにその弟子に教えを説き・・・、というように、教えの和が時代を超えながら無限に広がっていくのです。
実際に、法華経には、私が今ここに書いたのと同じような表現では書かれていませんが、各章を読み進めていくことで、このような、深読み・解釈に至るのです。法華経に書かれている内容は、ほぼすべてが例えであり、その為、自分の心の中に宇宙観(真実)を持っている人だけが、法華経を読むことができるという、不思議な鍵のかかった書物となっているのです。法華経は、文字を読みつつも、心と概念で読み解くという感触そのものなのです。
さて、話しを戻しますが、上記のような、時代を超えた学びの無限ループを、別の次元から見れば、人類が大いなる全てへ帰還するための、壮大なプロジェクトの一環とも解釈できますし、大いなる全てが、分割と帰還を繰り返す無限の鼓動を表現しているとも解釈することができると思います。これは、あくまで、私が持つ宇宙観から導き出された法華経の解釈であり、読む人によっては全く別の解釈が得られる可能性もあるでしょう。
ただ、法華経の第1ページ目には、「過去・現在・未来の菩薩たちに敬礼したてまつる」という文があります。なぜ、この一文から法華経は始まるのか。そこには、今回書かせていただいた様な、深い意味が込められているのですね。つまり、読む人が読めば、似たような真理に帰着することも予測できるんですね。
語り出すときりがありませんが、今回は法華経の不思議な世界観(私なりの解釈ですが)をご紹介しました。
もしかすると、次の聖者はあなたかもしれません。