生きる意味とは何か?
先に答えを言ってしまうと、それは、体験です。
私たちは大いなる全てから生じた存在ですが、では、大いなる全てがなぜ私たちを創造したのか。その理由は、まさに、大いなる全てが体験を求めているからです。私たちは大いなる全ての部分的存在であると同時に、己の内に大いなる全てを含んでいる存在でもあります。つまり、自分から選んで様々な体験をしているということです。
全ての時代の人類が、皆、一人一人違う体験をしますが、それら全てに価値があるのです。
楽しい体験、嬉しい体験、辛い体験、苦しい体験、ありとあらゆる全ての体験に価値があり、その総和が、大いなる全ての豊かさにつながるということになります。そこには、何が正しく、何が間違っているかという判断基準はなく、文字通り全ての体験が豊かさとなるわけです。
では、大いなる全ては善なのか、悪なのか、という疑問を持つ方がいらっしゃるかもしれませんが、大いなる全ては、善や悪、そしてそれらの概念を生み出す宇宙の根本的な構造をも含む、さらに、それ以上の存在であり、そういった観点から見ると、大いなる全ては善でしかありえないと言えるのです。
言い換えると、体験・経験がなければ、意識は何も感じることができずに、ただそこにあるだけです。体験・経験を人類の生きる3次元空間だけでなく、地球外生命体や神々を含む様々な存在が活動をする、あらゆる宇宙やあらゆる次元において、創造しているという事実を持ってすれば、大いなる全ては善でしかありえないということです。
これは、無か有か、あなたはどちらを選びますかという問いにも似ています。無であれば、そもそも、なにも無いわけです。世の中は有であるため、全ての体験がありえるのです。そういう意味で、大いなる全ては有であり、善であるのです。さもなければ無ということになります。
さて、話を戻しますが、人類は、全てを忘れて生まれてくるという、特殊なゲームを行っているわけです。何が特殊かというと、自分が大いなる全てや、魂(大いなる全てに比べればより個人的な集合存在)とつながっているという感覚を、完全に忘れている点、これが特殊だということです。
自分が大いなる全てや魂の一部であることを完全に忘れるということは、自分が創造的な存在であるということを完全に忘れるということであり、自分の本性を忘れて人生を体験するという点が、非常に創造的だということになります。自分の本来の創造性を忘れることが、別の観点から見れば、とても創造的だということです。
そもそも、私たちの生きる3次元空間で見えるもの全ては、あなたが創っているものであるということを、あなたは忘れています。あなただけでなく、人類はほぼ全員、そのような同意の下、地球に生まれてくるのです。
たとえば、3人の人が同じ椅子を囲んで、その椅子を見ていた場合、その椅子は、3人がそれぞれ創造した椅子を見ているのです。そこで、椅子は3つ創造されたことになります。ただ、3人の見ている椅子は同じものであるという同意を3人がしていることになるため、椅子はあたかも一つしかないように見えるのです。ざっくり言うと、人間は、これを人類全体でやっているのです。(これはたとえ話です)
だから、自分が創造主としての能力を持っているという事実が分かりにくいんですね。本来、自分の想像力によって生み出された物質も、自分で創ったわけではないと感じてしまうのは、人類の集合意識による共通の同意の仕組みによって邪魔され、覆い隠されているからなのです。
つまり、あなたが手にしているスマートホンも、あなた自身が創造していると言えるのですが、スマホという概念を人類全体で共有することにより、各個人がスマホを自分の人生の中に創造しているということは、完全に覆い隠されてしまっているのです。ほぼ全ての人が、スマホはどこかの頭の良い人が創ったもので、自分はその生産工程には全く関係ないと考えていることでしょう。もちろん、私たちの次元から見ば、それはまさに、正しいわけですが、本来のもう少し高いリアリティ次元からみれば、各個人がスマホをいとも簡単に創造しているというのが現実であり、それほど、私たちの本性(それは魂とも呼べるわけですが)は、創造的なのです。ただ、その叡智を完全に忘れて、また、あえて、創造性を極めて限定したように見える状況を創りだし、その中に人類は生まれてきている、そういうゲームをしているということです。
しかし、ここからが面白いののですが、これまで人類は完全に忘れるというゲームをしていたにも関わらず、今、次なるゲームテーマとして、大いなる全てや魂とのつながりを、この地球上にいながらにして、皆で思い出すという難解なゲームに取り組もうとしているわけです。まさに上級編ですね。
そもそも、私たちは大いなる全てから生み出された存在であり、いくどもの輪廻を経て、最終的には、人類としての学びを終えて、次の段階へと進んでいきます。ただ、次のステージに進むためには、魂や大いなる全てとのつながりを、人間として生きている状態のまま、多くの人が思い出す必要があるわけです。完全に忘れた状態から思い出すというのが人類が今取り組もうとしているゲームの最終局面であり、それは難解であるからこそ、本来の自己を再発見しる時に大きな感動もあるわけです。
さて、ここで冒頭の疑問、なぜ私たちは生きているのかという問いに戻ります。
私たちは人間として生きることで、様々な体験をし、その全ての体験が大いなる全ての豊かさにつながるわけですが、人類全体で取り組んでいるゲームは、ただ体験して終わりではなく、最後に、皆で思い出す、という部分がセットになっているという説明をしました。
昨今のスピリチュアルブームは、まさに、その前兆と言えるでしょう。人類全体が今、少しずつ目覚め始めているわけです。2020年~2021年はコロナウィルスによるロックダウンで、在宅時間が増え、多くの人々が自分自身と否応無しに向き合わねばならない状況となっていますが、それはある意味必然なのです。なぜなら、自分自身と向き合うことによってしか、本当の意味での気づきを得ることはできないからです。思い出すとは、結局、自分自身を知るということなのです。人類全体が思い出す方向に向かおうとしているからこそ、多くの人々が自分自身と向き合わなければならない状況となっています。
ということは、今、人生に迷う多くの人々がいると思います。なぜかというと、ただ、経験すればいいというこれまでの人類の人生観から、もうワンステップ上の、思い出すという上級テーマへ向かっているからです。
ただ、焦る必要はありません。人生とは、まずは、今自分が置かれている状況を楽しみ、精一杯生きれば、それで良いのです。人生を楽しむことができている時点で、様々な気づきを得て行く流れには、既に乗っていると言えます。
しかし、楽しみを感じられない人々も多くいることでしょう。日々、仕事や学業の中に苦しみや辛さが溢れているのであれば、あなたは人生のターニングポイントに来ていると言えます。そんなあなたは、自分はこの人生で何をやりたいのかを考え、自分がやりたいと感じる方向に向けて、行動に移す時です。自分のやりたいことをやってみる、そして、やりたくないことを人生から消す。これが、大いなる全てへ帰還する第一歩です。ただし、15歳くらいまでの若年層の方々は、人間としての学びをスタートさせる土台を作るためにも、ある程度は学業に励むべきでしょう。
さらに、自分はもう十分、人生を楽しんだという人もいるかもしれませんし、はたまた、宇宙の真理を知りたいと考える人もいるかもしれません。そんな人は、自分の内へと向かう旅に出る時です。世の中には既に、真実の書かれた書物も出ていますのでそういったものを見つけ、読むと良いでしょう。
しかし、覚えておかねばならないのは、最終的には、自分自身の内面にしか、本当の意味での答えは無いとういことです。己の内面の中に、真の叡智を見つけるのです。繰り返しますが、最終的な答えは書物やインターネットには無いということです。ある程度までは参考にできたとしても、最終段階は、常に、自分の内面にあることをお忘れなく。
さて、真の叡智を自分の内側に垣間見る人間が増えれば、それは少しずつ人類全体に拡散され、ある点まで到達すれば、一気に広がることでしょう。
ここまでくれば、人類はこのゲームをオールクリアしたことになり、多くの人々(存在)が次のステージへと旅立っていくのです。この時、現実世界では様々な技術が同時多発的に、かつ爆発的な進化を遂げ、人類は宇宙へ旅立つだけでなく、様々な次元への探求もより深い意味で開始するのです。