自然界という場に調和する

前回は、人が創り出す「場」というものに人が支配されるという説明をしました。

そして、これまで場を創り出す価値観の頂点に君臨してきたのが「お金」だというお話をしました。

しかし、よくよく考えてみれば、これらの場とは精神的なものであり、ある意味で人間が創り出した幻想です。言わば、幻想を皆で共有し合い、精神的な制約を課して、自ら行動を制限しているような状態なのです。

一方で、人間は全く種類の違う場にも支配されています。

それは自然界です。精神的な場ではなく、物質的な場ですね。

例えば僕たちは日本という場で生きています。

一つ上の階層に行けば、地球という場があり、更に上には太陽系、その上には天の川銀河、さらに上には銀河団というように、やはり宇宙も階層構造になっており、上層の場が、下の階層の場を支配しているという構造になっています。

そして、自然界にはどの階層にも比較的共通するルールがあります。

その一つが円です。

例えば銀河は中央のブラックホールを起点に渦巻いています。いわゆる円運動をしている訳です。

また、太陽系は太陽を中心に、地球などの惑星がやはり円運動をしています。

月も地球の周りを円運動していますね。

そして地球自体は自ら回転、つまり自転をしています。

一つ下の階層の地球に降り立つと、そこには台風や竜巻が起こりますが、これも円運動に似た現象です。

生物を見ても、花は基本的に円形ですし、木々も中心から外側に向かって円形の年輪を作ります。水滴も円というか球形ですね。カタツムリや巻貝も円に似たいわゆる螺旋構造になっています。

もっと言えば、僕たち人間の頭には「つむじ」があります。人間の身体にも、何らかの円形ルールが適用されているのかもしれません。

更に、一気に下の階層まで下りると電子が原子核を中心に回っているわけです(厳密には確率的に存在しているわけですが)。

つまり、僕たちが生きている自然界は、何か円形や球形に物事が収まるような場の力が働いていることになります。

ということは、ザックリ言えば、自然界を支配している、なんらかの力(場)にうまく沿って生きることができれば、もっと楽に生きることができるということです。

逆を言えば分かりやすいのですが、例えば地球の自転を止めようとしても無理ですよね。もう、それは地球の自転に従ってその中で生きていく他ないのです。

つまり、どうすれば人間はもっと自然界の創る場に沿って生きることができるか考えるべきだと思うのです。

それができたならば、心には絶対的な安心感を感じながら生きることができるかもしれません。現代人は何か、心の中心を失ってしまった様な、糸の切れたタコの様な状態になってしまっています。

常に誰かと繋がっていないと不安や寂しさが襲ってきたり、だからこそ、嫌でも社会との繋がりを求めて家の外に繰り出すわけですが、結局、人間関係に疲れ切ってしまう。本来、心の中心にあるべき何か大切な軸を失ってしまっているように見えるのです。

もしかすると、それは人間が自然界との繋がりを絶ってしまったことに原因があるかもしれません。

コンクリートとアスファルトに固められた地面、命を育む大地から離れた場所に寝泊りする高層マンションという住まい。僕たちの命を支える食べ物は、全て大地から生まれているというのに、気づけば何日も大地に触れることもなく生きる毎日。そんな自然との断絶が、徐々に心の喪失感を生み出しているのかもしれません。

樹齢何千年という大木の前に立つと、何か畏敬の念や壮大さ、絶対的な安心感を感じるのは、人と自然が本来、もっとつながって生きるべきだということを教えてくれているのかもしれません。

伊勢神宮や屋久島には樹齢何千年という大木が数多く残っていますが、これらの森が創り出す場は何度訪れても神秘的な感覚、何か脳の奥まで冴え渡るような新鮮さを感じさせてくれます。

本来、人はその神秘的な感覚に包まれながら生きるべきなのかもしれません。

そう考えると、僕たちが失ってしまった大切なものの一つは森かもしれませんね。でも取り戻すことはできます。

最近はキャンプや登山をする人が増えていますが、これらの活動は、人の心のあるべき状態を思い出させてくれるのかもしれません。

人はもっと自然と融和しながら生きていくべきなのでしょう。そして、どのような形がベストなのかはまだまだ探求していく必要があると思いますが、例えば、「畑のある家」が一般的になり、毎日、土に触れていれば、それだけでも心の安心感は増すかもしれません。

また、森や川や湖や海は、危険な場所として、完全に人間の生活と切り離してしまっている場所も多いですが、何か安全な形で、人がもっと自然に触れることができるような場を増やすことができれば、人々の心はもっと満たされるかもしれません。

先程の円形というキーワードを元に考えると、例えば家の形も円形にすると、より心が落ち着くかもしれません(あくまで可能性です笑)。現在はほとんどの家が四角ですが、それは技術的な制約が大きいからですね。曲線の壁を作るのは難しいのです。でも、もしかすると円形の家の方が心が安らぐかもしれませんし、もっと言えば、ベッドの形も、人間の身体に合わせて作れば、本来は上半身側を大きくした扇形のベッドの方が、ゆったりと寝られると思います。

ちなみに円形の家は、3Dプリンターで家を創る時代になれば、簡単に実現するでしょう。

街の形ですら、円形に設計して、例えば中心に公園を作っても良いのかもしれません。福祉大国のデンマークでは円形の集落が実際に存在しています。

何が言いたいかと言えば、人がどうしたら、より自然の創る場と調和できるかという観点を、もっと探索すべきではないかということです。人の心の喪失感が自然との繋がりで取り戻せるのであれば、自然と融合した街づくりを意識的に進めることで、人類は大きな幸福を手にすることができるかもしれません。

よく、山の中にあるポツンと一軒家を取材しているテレビ番組などがありますが、あんな人里離れた場所でも、健康で長生きしていられるのは、自然との繋がりが心を満たしているからではないかと思ってしまいます。

さて前回の記事で、次世代の価値観のトップに来るべきものは「幸せ」ではないかと提案しました。そして、お金ではなく、幸せが人間社会の価値基準の最上位に来れば、必然的に今回お話した自然との繋がりを思い出す方向に人は進んでいくことでしょう。

心の喪失感を豊かな自然との繋がりで思い出しながら、様々な幸福の形を追求していけば、より幸福な社会を実現できるかもしれません。

現代人が考える幸せの形とは、まだまだ画一的で窮屈です。家族のあり方や、子育てのあり方、組織のあり方など、もっともっと、様々な幸福の方法が見つかっていくはずです。

誰にでも両親がいて、両親には更にその両親がいますが、そうして500年ほどさかのぼれば、日本人全員がほぼ血族になる計算です。そう考えると、家族という単位で人間を区切ることも、もしかしたら不自然なのかもしれません。町内のどこかに子供が生まれたならば、自分の家族の一員が増えたという感覚で見ることもできるのです。

人が創る場の最上位に「幸せ」という価値観を置き、地球という場が創り出す自然と調和する生き方を追求すること。

この両輪により、人は今よりも素晴らしい世界を実現させることができるのではないでしょうか。

場に支配される人間

人は場に支配される生き物です。

例えば、「家庭」という場は、人が属する最小単位の場と言えるかもしれません。多くの場合、この家庭という場は夫婦の価値観が創り出し、そのルール(場)に子供たちは支配されます。

もう一つ上の階層に行くと、例えば会社の職場という場が存在します。職場の場の価値観を創っているのは、そのチームや組織のトップでしょう。課長が変わったり、店長が変わると、職場の雰囲気もガラッと変わるのは、場そのものを創り出す人が変わるからです。

つまり、集団のトップにいる人間が場を創るとも言えますし、基本的にはさらに上位層の場のルールには逆らえないということにもなります。課長は部長の指示には従いますし、部長は専務の指示には従いますよね。父親が会社で得た価値観、ものの見方を、少なからず家庭に持ち込むのも、上位の場が下層の場に大きな影響を与える一つの例かもしれません。

話を戻して職場の更に上の階層に行くと、資本主義社会という場が存在しています。会社を経営している人は、ある意味では全員、この場に支配されていることになります。なぜなら資本主義社会には歴然とした価値観とルールがあるからです。それは、会社とは利益を上げ税金を納める義務があるというものです。

つまり、この場(ルール)から逃れて会社を運営することは基本的に不可能です。ですから、会社を運営する人は当たり前の様に利益を第一に追求するのです。資本主義社会とはその様な場であり、人は場に支配されるから当然です。

更に上の場にいきましょう。全ての会社が属している訳ではありませんが株式市場という場が見えてきます。日本を代表するような立派な企業のほとんどが株式市場に上場し、自社の株式の一部から大部分を他人に譲渡しています。

この株式市場は、株主が一番偉いという価値観(場)に満ちています。

つまり、創業者は自分の会社を手塩にかけて育ててきたとしても、上場した瞬間に、その会社は、自分以外の株主の為の会社となるのです。

では、株式市場を実質的に支配しているのは株主ということになりますが、日本の株式市場最大の株主とは誰なのでしょうか?

実は日本経済新聞の推計では、日銀が2020年末にも日本最大の株主となる見通しのようです。

日銀が日本最大の株主。

じゃあ、その日銀の株主は誰なのでしょうか?

調べてみると、日本銀行への出資者の55.0%は日本政府となっています。しかし、その他の45.0%は日本政府以外の者からの出資となっています。それが誰なのかは公表されていないのです。

つまり表面上は、日本政府が株式市場最大のオーナーということになりますが、日本政府が株式市場のルールを統制しているようには到底思えませんね。

つまり、残りの45%を握っている人間こそが、日本の株式市場という場を実質的に支配している人間ということになるのではないでしょうか。

それは誰か?

言うまでもなく、それは世界の金融資本家たちですね。最近はディープステートなどと言われたりもしています。※根拠はありませんのであしからず。

つまり彼等が、2020年現在の僕たちの社会の最上位に位置しており、拝金主義的な価値観を創り出している根源の人間たちと言えるでしょう。

ある意味、日銀が金融緩和を通して、日本の大企業の株を買えば買うほど、その株主による支配権は日銀を経由する形で、支配者達の手に移っていくとも言えるわけです。

彼等は資本主義社会や共産主義社会の上の階層に存在しており、簡単に言うと、お金持ちは偉いという価値観を全世界に植え付け、お金によって世界を支配しつづけようとしています。

しかし面白いことに、世の中は変わろうとしているようです。金融システムが崩壊しようとしている今、まさに社会の価値観を転換させるチャンスが来ているように見えるのです。

もし社会システムが根本的に変化するのであれば、「お金」を価値観のトップに置くのではなく、「幸福」を価値観の最上位に置くような社会システムにすれば、人々を支配する場は一気に変わります。そして、当然、今よりももっと幸福な世界が訪れることになるでしょう。

なぜなら、幸福が最上位の価値観になるわけですから、人々は幸福とは何かを追求するようになり、少なくとも、自殺者の多い今の社会システムよりはマシになるような気がするからです。

当然、これまで権力を持っていた人達は自分たちの権力を維持するために、あの手この手で社会システムをコントロールしようと試みるでしょう。しかし、金融システムが崩壊するタイミングで、世界の多くの人々がお金に支配されない生き方を選択した場合には、これまでの様な支配を続けるのは難しいでしょう。

例えば日本の場合、自給自足的な生活に憧れて、実際に田舎に移住する人が少しずつ増えてきていますが、彼等の様に、お金に支配されない人間は、支配することが極めて難しい人種と言えます。

極端な話、日本人全員が自給自足的な生活をすれば、世界の金融資本家は日本を支配することができなくなるでしょう。

それをもう少し拡大させて考えると、例えば、国内で休耕地になっている莫大な土地にもう一度農作物を作りはじめれば、日本は他国からの食糧輸入に頼らずに、つまり、お金に頼らずに、幸福という新しい価値観を国単位で追求することができるかもしれません。人工知能や、高機能な耕作機、温度や湿度を調整できるビニールハウスを組み合わせれば、労働を軽減しながら、国民全員を養えるだけの、質の良い農作物を供給することは十分可能だと思います。

これはあくまで一例ですし、社会システムが崩壊する局面では、あらゆるものが半壊状態となるでしょうから、様々な再構築の議論が必要になります。

当面の間は、お金というシステムを継続させる必要があると思いますが、重要なことは、現在最上位で場を作っている「お金」という価値観を「別の何か」に置き換える局面を迎えようとしていることだと思います。

最上位の場が変われば世界は一変します。人々はどの様な価値観を次世代社会の最上位に掲げるのでしょうか。また「お金」だったら、ちょっとつまらないと個人的には思います。

僕だったら、やっぱり、「幸せ」ですかね。多くの若い世代もそうなんじゃないかな?何よりも、幸せという分野は、実は全然開拓されていないような気がするのです。これから色々な幸せの形がきっと見つかっていくはずです。

お金の為にバリバリ働きたい人も、まだまだたくさんいると思いますし、そういう人たちが今は経済のエンジンになっていることも事実ですが、少なくとも、お金が1番という時代は終わるべきかなと思います。

今回は場という概念についてざっくり説明しました。なぜわざわざ、この様な概念を持ち込むかと言うと、自分たちの社会を少し違った角度から、本質的に見ることができると思うからです。

そして次回は、人々を支配するもう一つの場について解説し、人間にとって最高の場の組み合わせとは何かについて探求したいと思います。

最後まで読んだ人、、、いないだろうなぁ。笑

もしいたら、あなたは変態です。

人生のエアーポンプ

今日は結論から言いたいと思います。

もし自分の人生が水の入った水槽だとすると、人と会うことは、エアーポンプで水槽の中に空気を送り込むことに例えることができます。

もし、誰とも会わなかったら、人生の水槽に入っている水は徐々に淀んでいき、人生そのものが淀んでしまいます。

人と会うことで、その相手を通して、自分の内部にある様々なエネルギーを活性化することができ、それを、自分で感じることができるのです。それが健全な精神を保つことにつながるということです。

一方で、人は過剰な人間関係にも悩まされるものです。

あまりにも強力なエアーポンプは過呼吸を引き起こしてしまうかもしれませんし、自分に合わないエアーポンプを長時間使っていたら疲れてしまうでしょう。

だから、時として、これまでの古いエアーポンプを外すことで楽になることは多々あるのです。

ただ、原則として、人はなんらかのエアーポンプを付けておかないと、次第に人生の水が腐ってしまうという原理原則は知っておく必要があると思います。

つまりは、自分にとってちょうど良い人たちと、日々、会いながら生きていくことが、自分の人生を快適に過ごす重要な要素となるのです。

ブラックホール瞑想

瞑想には色々な方法があります。

そして今回、瞑想歴10年の僕が、試行錯誤の上にあみ出した、最強の瞑想方法を紹介したいと思います。その名も、

ブラックホール瞑想

かなり強力です。

この瞑想は、夜寝る前にベッドの中で行っても効果があります。もっと言えば、いつでも、どこでもできます。もちろん、通常の瞑想時にやってもオッケーです。

ではさっそく、最強の瞑想方法を伝授したいと思います。

まず、自分の心の中に、超強力なブラックホールをイメージします。

そして、心の中にあるブラックホールが、自分の心に浮かぶ、「イヤな出来事」、「イヤ感情」、「イヤな人」、「イヤな過去」、「イヤなもの全て」を片っ端から吸い込んでいくイメージをするのです。どんどん、ものすごい勢いでイヤなモノを吸い込んでいきます。

ちょうど、お掃除ロボットのルンバが、部屋中を動きながらゴミを吸い込む様に、ブラックホールも自分の心の中を隅から隅まで動きながら、イヤなものを全て吸い込んでいきます。

※イヤな出来事が心ではなく、頭に浮かぶ人は、頭の中をブラックホールが駆け巡るイメージをしましょう。

ブラックホールは出来るだけ大きく、強力なものをイメージするのが良いです。

もし、一度では吸いきれないほどのイナなモノが出てきたとしても、何度でも何度でも吸い込んでいきましょう。

ブラックホールは超強力ですので、吸えないものはありません。最終的には全てのイヤなモノを完全に吸い切って、心の中には静寂が訪れます。広大で神秘的な宇宙空間が無限に広がるのです。心は満たされ、とてもスッキリした、すがすがしい気持ちになります。

そして、イヤな感情が芽生えるたびに、このブラックホール瞑想を使って、全てのイヤなモノを闇に葬っていくのです。

気づけば、驚くほどの心の変化を味わうことができるでしょう。

最強のブラックホール瞑想、是非、お試しください。

肉食の象徴

バシャールが言っているように、僕達は必ずしも肉を食べなければ生きていけないわけではありません。むしろ、周波数が上がってくると肉を食べたいとすら思わなくなるとバシャールは語っています。

今回はその意味するところを掘り下げて、人が肉を食べるとういことが、社会的にどういう意味があるかとういことを分かりやすく説明したいと思います。

尚、以下の内容は、食肉を否定するものでは一切なく、あくまで考え方を提示してだけです。個人的にも肉はたくさん食べていますのであしからず。

例えば、犬は「素直さ・従順さ」の象徴として僕達の世界では認識されています。子供は「かわいらしさ」の象徴だったりします。猫は「自由気まま」なイメージでしょうか。イルカなら「知性と友情」の象徴かもしれません。最近では「歩くこと」が「健康」の象徴だったりもしますね。

このように、僕達の社会では、ある物事が、自分達の感情や習慣や人間性を分かりやすく例える象徴となっていることがあります。

では、「肉を食べる」という行為は、僕達のどのような人間性を象徴しているのでしょうか?

結論を言ってしまうと、肉食とは家畜文化の象徴であり、その対象は豚や牛だけでなく、人に対しても行われるということなのです。

僕達は肉を食べる為に、動物を家畜化します。しかし、実は人まで家畜化しているんですね。

例えば、会社では人を拘束し、彼等の時間や労力を搾取します。最近よく聞かれる「社畜」という言葉は、まさに的を得た造語なのです。この「社畜」行為は全世界で当たり前のように行われていますが、要するに人の家畜化なのです。

これにより、一握りの支配層が、その他大勢を支配するという社会システムができあがっています。

とりわけ、肉食が中心の西洋文化では、歴史的に人を奴隷化する傾向が強く見られますが、ある意味、肉食なので当然なのです。肉食こそが家畜的な社会システムを生み出す根源だからです。

そして、家畜化による肉食という行為そのものには、ある一定の周波数があります。その周波数が意味するところは「完全支配」なんですね。

そもそも動物を拘束して閉じ込め、食肉にするという行為は「支配そのもの」なんですね。だから、人は肉を食べれば食べるほど、その周波数に波長が合っていき、自分以外の他の存在を、どうやって支配しようかということを考えるようになります。もちろん、ヴィーガンで支配階級という人も存在しますが、社会全体の構造としては、家畜による肉食が、全世界社蓄システムの土台となっているのです。

戦後、世界に肉食分化が広がっていくと同時に、社蓄システムも広がっていきました。そんな社蓄ワールドの中で、僕達が考えていることはと言えば、

「どうすれば人より優位に立てるか?どうすれば出世できるか?どうすればお金持ちになれるか?」

そんなことばかりでしょう。完全に肉食の周波数に波長が合っています。

さらには、搾取する側に立った人間を褒め賞賛するという、考えてみればおかしな固定観念を脳内に創り上げて生きてきたのです。

しかし、2020年現在、少しずつ変化の兆しは見え初めています。ヴィーガン料理が注目されているのも社会が変化し始めている象徴の一つでしょう。また、日本でも「山奥ニート」なる新しい生活様式が話題になっていることも変化の兆しです。

そんな中、支配層は何を考えているかと言うと、

「この社蓄システムが、ずっと続いてほしい。」

そう願っているんですね。

当然ですが、支配層は、この状態を永遠に維持したいと思っており、社蓄が逃げてしまうのを恐れています。

「支配し続けたい支配層」と「自由になりたい社蓄」。

このせめぎ合いの行方はどうなると思いますか?

ここでポイントとなるのが、エネルギーとAIです。

支配層が、今、積極的に地球温暖化キャンペーンを行っていますが、これはなぜかと言うと、社蓄達にエネルギーを使ってはダメだということを信じこませる為なんですね。

なぜかと言うと、社蓄が独立して自由を手に入れるための必須条件として、第一にエネルギーが必要だからです。

車に乗るのも、スマホを見るにも、家電を使うにも、何をするにしてもエネルギーが必要ですね。だから、社蓄の自由を制限するためには、まずエネルギーの制限が必要なのです。

1990年代までは、化石燃料が枯渇するとキャンペーンしていたのですが、実は、莫大な量の化石燃料がまだまだ地中に眠っていることが世間にバレ始めた為、支配層はやり方を変えて、温暖化キャンペーンを実施中なのです。

しかし、支配層はあるミスをしています。

地球温暖化対策の一つとして、肉食をやめるべきだ、と訴え始めているのです。肉食こそが、社蓄文化と支配層の基盤であるにも関わらず、それに気づいていないというパラドックスが起こっているのです。

この先、支配層のキャンペーン効果で肉を食べない人が増えていくとしましょう。すると、中には自給自足的な生活でも良いと考える人たちが増えていきます。そういった人々は、自分達をしばりつけている社蓄システムからも少しずつ立ち去っていきます。次第にその流れは大きくなり、世界的な脱サラブームが訪れるでしょう。すぐにはそうならなくとも、多かれ少なかれ、個々人に肉食減少の変化が出始めると、世界全体で肉の消費量は減り、その結果、社蓄システムという、これまでの僕達の既成概念が崩れ始め、同時に、社会システムも崩れてゆくのです。

もっと言えば、ニコラテスラがかつて実用化したと言われている「フリーエネフギー」が復活し、もし世界中のだれでも電気を自由に利用できるようになれば、支配層はますます力を失うことになります。

そして、決定打となるのがAIの進化です。

AIが進化すれば、人間は働かなくても良くなります。食料の生産も、家電の生産も、介護も、掃除も、洗濯も、宅配も、運転も、全てAIがやってくれるようになるのです。

AIに仕事を奪われるという心配をする人もいますが、それは視点がおかしいのです。仕事が減るのではなく、AIが働く分、人間は働かなくてもよくなるのです。

フリーエネルギーが実現した上で、AIが進化したらどうでしょう。

そうです。今後、僕達の世界は、とんでもない進化をしてゆくのです。そして、人類が皆、自分のやりたいことをしながら生活をするという、新たな社会システムへと移行していくのです。

永遠の「フラット」

たとえば、お金持ちになっても、幸せになれるとは限りません。

なぜか?

それは、人生はどこまで行っても、心がフラットになるようにできているからです。一旦お金持ちになっても、気づけばそれが「当たり前」となり、次第に心はフラット化してゆきます。そして、間もなく、お金持ちであることに対する感動は消えてゆくのです。

最近、有名芸能人の自殺が相次いでいますが、結局、有名でも、お金があっても、容姿端麗でも、結婚していても、子供がいても、その人が幸せかどうかは、一般的な成功の尺度では計ることはできません。

一方、成功者の対極にいるのが、日本では、生活保護者と言われる人々でしょう。

実は、僕が所有しているアパートの一つでは、生活保護者の受け入れをしています。

生活保護者は、働かなくても毎月お金をもらうことができます。

家賃も支給されます(上限はありますが)。

医療費も無料。ガンの手術だってしてもらえます。

老後は実質無料で老人ホームに入ることができます。

僕はそんな彼等を見て、

「資産家のような生活だな。」

と思うことがよくあります。生活のレベルは違うかもしれませんが、何もしなくても毎月お金が入ってくるというシステムは資産家も生活保護者も同じです。また資産家の多くは質素倹約で、健康志向の人が多いことを考えれば、納豆や味噌汁など、生活保護者と食べている物もほとんど同じかもしれません。

もっと言えば、生活保護者の住まいのレベルはどんどん向上しています。空き家が増えている日本では、生活保護者も住まいを選べる時代なんですね。

お風呂は追い炊き機能付きのユニットバス。トイレには当たり前の様にウォシュレットが付いており、洗面台には最新式のシャンプードレッサー。床や壁も綺麗にリフォームされています。部屋も2DKほどの広さがあり、1人暮らしには十分です。条件は地域によっても差があると思いますが、僕のアパートがある、ごく普通の町ではそんな感じなのです。

華やかな世界で成功している芸能人と、その対極にいる生活保護者。どちらが幸せだと思いますか?

死ぬような思いで頑張っている芸能人は、社会的な成功をしているかもしれません。

一方で、生活保護者は、気楽な生活を満喫しているかもしれません。

そう考えると、何が成功なのか見えなくなりませんか?

このように、僕達現代人の視界が曇って本当の真実が何かが見えなくなってしまうのは、宇宙の法則から外れた、偽りの価値観に社会全体が支配されているからです。

でも、もし見えないとしても、ここまで述べてきたロジックを理解すれば、今回の謎は解けます。

つまり、それは、「フラットな状態を良しとすること」なのです。

なぜなら、人生はどこまで進んでも「フラット」だからです。

例え大金持ちになっても、一流の芸能人になっても、生活保護者になっても、同じ地球で生きている以上、全く同じルール「人生は結局、心がフラットになる」が適用されるのです。

大昔の人類は、今では考えられないくらいの過酷な生活をしていたわけですが、それでも彼等の心はやはりフラットだったのです。成功しても、過酷な環境下でも、人の心は状況に慣れ、フラットになるのです。そして、何かが足りないのだと錯覚するのも、どちらも同じなのです。

だからこそ、どんな状況であれフラットな状態を良しとすることが、迷宮を脱する光となるのです。

何も無いフラットな状態を良しとすること。

つまらないフラットな状態を良しとすること。

今ここにいる自分を良しとすること。

そして、そこからゆっくりと次の一歩を進み始めればよいのです。

社会的な地位や名誉は関係ありません。これを理解した人から、心穏やかな日々を歩みだせるのです。

現代では多くの人が、成功すれば幸せになると思い込み、突っ走っています。だからこそ、成功しても幸せになれないことが分かると失望してしまうのです。

でも、最初から心がフラットになる仕組みが分かっていれば、必要以上に自分を追い込む必要はなくなります。実はそうした方が、人生の視界が晴れ、本当に自分が進むべき道も見つけやすくなるのです。

フラットな心は人生が終わるまでずっと続きます。

だから、それを良しとするのです。

本当の人生とは、自分のフラットな心に咲いた、小さな草花を愛でながら歩んでいくことではないでしょうか。

そして、その小さな草や花は、あなたのすぐ近くにいてくれる人たちなのかもしれません。

「人間関係」は「自分関係」だった

自分にとって良い人、面白い人、愛すべき人、嫌いな人など、色々いると思います。

しかし、その人のことを認識しているのは、あくまで自分の脳であるという事実があります。

例えば、嫌いな人がいたとして、でもその「イヤな感じ」をクリエイトしているのは、あくまで自分の脳です。

逆に、愛すべき対象がいたとして、その「愛おしい気持ち」を創り出しているのも、あくまで自分の脳ということになります。

つまり、良い人の良いエネルギーも、悪い人の悪いエネルギーも、結局は、自分の中で作られていることになります。

様々な人に会った場合、会った人の数だけ様々なエネルギーパターンを脳内で創り出し、自分はそれを体感しているのです。それだけ、脳はクリエイティブにできているということです。

言い換えると、人はいつでも、どこでも、誰に会っていても、常に自分の創り出すエネルギーを体感していることになります。つまり、自分自身を体感していると言えるのです。

人生は自分自身を体感する構造になっていたのです。

一見、イヤな人に会ったら、イヤな気分になるのは、その人のせいだと思ってしまいますが、もし、自分の中に「イヤなエネルギー」を創り出す能力がなければ、「イヤな気持ち」は体験することができません。

だから、自分の心の中に浮かぶ全ての他人は、自分が作り出しているエネルギーパターンなのです。他人でありながら、自分自身のエネルギーパターンだということです。

そして、多くの場合、人は自分の中で勝手に創り出したエネルギーパターンに苦しんでいます。それが人類共通の課題、「人間関係」です。

しかし、人間関係の問題は、視点を変えて見ることで、大部分をコントロールできるようになるのです。

考えてみてください。イヤな人を想像して、イヤな気持ちになったとして、それは、自分一人でやっていることですよね?自分の中で勝手にイヤなエネルギーを創り出し、勝手にそれに苦しんでいるわけです。その間、相手はバカンスを楽しんでいるかもしれません。考えてみればバカげていますよね。

だから、もし自分の人生をうまくコントロールしたいと思うのであれば、自分の心に浮かぶ「イヤな人」が発するエネルギーを自分の中で変えてしまえば良いということになります。自分の中で発するエネルギーですから、自分で変えることは十分に可能なのです。むしろ慣れれば簡単です。

具体的には、イヤな人を想像して、自動的に感じる気持ちを、そのまま放置しておくのではなく、自分にとって都合の良い解釈を加えるのです。

例えば、

「あのイヤな人は、自分がこんなにイヤな気持ちを体感できることを教えてくれた。自分のクリエイティブの無限の可能性を教えてくれてありがとう。」

これも一つの解釈です。解釈を変えると、その人が発するエネルギーパターンが変わりはじめます。

ポイントは、すこし距離をとって、俯瞰的に見ること。そして、イヤな気持ちを感じてしまう自分を許し、同時に相手のことも許すことです。あとは、それを繰り返します。

すると、始めは時間がかかるかもしれませんが、次第に自分の中で感じる、相手のエネルギーパターンが変化していきます。そして、自分の中で相手のイメージが軟化していきますので、それも許していきます。

人間関係をうまくコントロールする方法は、相手をどうこうすることでなく、自分の脳が創り出すエネルギーパターンを変えるということなんですね。

人間関係では、相手に変わってもらいたいと思ってしまいがちですが、基本的に、相手は変わりません。しかし、相手に変わってほしいという期待を完全に捨てることで、相手が変わる可能性は最も大きくなりますので、それは覚えておいても良いと思います。

宇宙はそういう仕組みでできているようです。

「人間関係」は自分の内部のエネルギーをコントロールすることで解決できる、つまり、「自分関係」を解決することだったんですね。

以上、偉そうに話しましたが、僕自身は全く聖人君子でもなく、好きな人もいれば、嫌いな人もいますし、それらをぜんぶ含めて、ゆるーく、そして俗的に生きています。それで良いと思っているんですね。草

ただ、人間関係で大きな問題に直面した場合や、過去の人間関係から未だにイヤな感情が湧き出してしまう様な場合には、今日説明した方法を使って、自分の内面を癒していくと良いかと思います。

朝のストレッチと瞑想で頭が冴え渡る

心と体はつながっています。

心が健全であれば、体はよく動きます。

逆に、心が病んでいると、体は動かなくなってしまいます。

やっぱり、心と体はつながっているんですね。

ということは、心を最高の状態にするためには、体を整えるのが手っ取り早いということです。これは見落としがちなのですが、非常に重要なことだと思います。

繰り返しますと、体を整えることで、心を整えるのです。

僕の場合、体を無理なく整えるための方法として、ストレッチを取り入れています。

有酸素運動でも良いのですが、過度な有酸素運動は、かえって体に負担がかかることもありますので、自分の体と相談しながら行うのが良いかと思います。

最近は、瞑想やマインドフルネスが話題を呼ぶようになってきましたが、実は瞑想だけをやるよりも、ストレッチを組み合わせた方が、遥かに効果を実感できます。

そして、ストレッチと瞑想をやる時間帯ですが、一番オススメなのが、朝起きてからの1時間ほどの時間帯です。

人間の脳は、午前中が最も冴え渡ります。この冴え渡る状態をより強化するためには、朝起きて、まだボーっとしてる状態から少しずつストレッチを開始するんですね。30分から1時間ほどストレッチをやった後に、瞑想を15分ほど行うのがベスト。僕の場合はですが。

この一連の流れを行うと、体には心地よい充実感が感じられ、気持ちは前向きに、そして頭が冴え渡っていきます。

特に瞑想をしている最中は、仕事のアイデアが思いついたり、次にやってみたいことが見つかったりと、非常にクリエイティブになります。

クリエイティブはビジネスに直結します。

自営業や、会社を経営している人は、自分のアイデアが金銭に直結することをよく理解していると思うのですが、そういう意味では、ストレッチや瞑想を行っている時間は、最大の仕事をしているとも言えるのです。

無理をして、自分を追い込みながら仕事をするよりも、心と体を整えて、最高のアイデアで世の中に貢献する方が、自分の為にも、ビジネスの相手の為にも、また社会の為にもなると僕は考えています。まさに三方よしですね。

この午前中の冴え渡り状態をつくる為には、前日の睡眠も欠かせません。

睡眠については様々な意見がありますが、僕の場合はゴールデンタイムの22~2時にはしっかり寝ることが、とてもとても大切だと考えています。たまに夜更かしをしてしまうこともありますが、1時をすぎてから寝ると、明らかに翌日のパフォーマンスが落ちますね。

実は、僕は不眠症気味だったのですが、ある方法を取り入れることで改善しました。

それは、横になりながらバシャールを聞くことです。ゆったりとした音楽や、ラジオ、YouTubeでも良いと思うのですが、映像は目が覚めてしまうので音だけにします。できるだけ自分の好きなものを聞くのが良いと思います。また一晩中ずっと音を流しっぱなしだと、眠りが浅くなることもありますので、途中で止まるようにしておきます。

睡眠の入口はとても大切です。なぜかと言うと、この睡眠の入口で考えていることが、寝ている間、脳内をグルグル駆け回ることがよくあるからです。良い状態で睡眠に入れば朝まで気持ちよく眠れますが、ネガティブなことを考えながら寝てしまうと、一晩中、ネガティブな状態が頭を巡り、朝にはどっと疲れてしまいます。

また、不眠症の人に多いのですが、考えすぎて頭の中がグルグルしてしまい眠れなくなってしまうということがよくあるんですね。でも、そういう時はYouTubeなどに意識を集中して(映像は切ります)、一旦、自分の思考を停止するようにします。その隙に脳がリラックス状態となりますので、睡眠へ入りやすくなるんですね。

以上が、最高に冴え渡る状態を作る具体的な方法になります。あくまで僕の場合です。

人生というのは、「今」という状態がずっと続きます。

いつまで経っても「今」です。

だからこそ、その「今」をいかに充実した状態で過ごすかということが大切だと思います。

朝のストレッチ、瞑想、そして日中はバリバリ楽しく働いて、ゴールデンタイムにはしっかり寝る。

この流れですね。

人生最大の衝撃「バシャール」

これまでの僕の人生の中で、最大の衝撃はバシャールとの出会いです。

その後の自分の生き方を決定づけたと言っても過言ではないほど、大きな衝撃を受けました。

ちょうど2010年頃だったと思います。

当時の僕は20代後半で、まだサラリーマンをしていましたが、リーマンショックの影響を受け、勤めていた会社の業績が大幅に悪化し、自分の取り組んでいる仕事に意味を見出せなくなっていました。

迷える日々の中、確固たる人生哲学を手に入れたいと強く思っていた僕は、様々なビジネス本を読み漁っていたんですね。

そんな中、船井総研の創業者である、船井幸雄さんの本に出会います。

船井さんは経営コンサルタントの元祖とも言える方ですから、さぞかしビジネスチックな内容に溢れているかと思いきや、本の内容は心の世界を中心に書かれており、その意外性に引き込まれ、続けざまに船井さんの本を何冊か読んだ記憶があります。

そんな船井さんの本の中で、チラっとだけ紹介されていたのが、宇宙存在であるバシャールだったんです。

バシャールのことが気になった僕は、試しに本を買ってみたのですが、そこで人生最大の衝撃を受けることになります。

「なんという真理、なんという素晴らしさ、なんという感動。自分はずっとこれを求めていた。」

心の底からそう思ったんですね。

あれから10年。未だに自分の中のナンバーワンはバシャールです。ダントツで。

僕は定期的に色々な本を読んでいますが、恐らくバシャールを超える本に出会うことは、今回の人生では、もうないと思います。

話は少しそれますが、20代の頃の僕は、自分の周りの人たちが話している内容を聞きながら、いつも次のように思っていました。

「なぜこの人たちは、こんなにも自信を持って喋ることができるのだろう?」

「何が正しくて、何が間違っているかなんて、結局のところ誰にも分からないのに、なぜみんな、こんなにも自信満々で自分の意見を言えるのだろう。」

例えばですよ、殺人はいけないことですよね。でも、戦国時代は殺人の得意な武将が称賛されたわけです。

それほど、人の価値観や判断基準というのは、曖昧なもので、時代によっても、国によっても大きく異なります。

人は所詮、そんな曖昧な価値基準しか持っていないのに、自信を持って自分の意見を言うことなんてできないのではないか。少なくとも僕は自分の意見に自信を持つことはできませんでしたね。

だから、どうせ身につけるなら、中途半端な価値基準ではなく、いつの時代にも通用する普遍的な宇宙法則や、人生哲学を手に入れたいと思っていたんですね。

そんな僕の贅沢な要望に対して、あまりにも明確に、あまりにも的確に、あまりにも心に響く言葉で、宇宙の法則を教えてくれたのがバシャールでした。

でも不思議だったのが、僕はこの感動を、周りの人たちにも伝えたいと思って、親友や家族にバシャールのことを熱弁して回ったのですが、みんな、その素晴らしさが全く分からないということです。

全員、興味すら示しませんでしたね。

おそらく、よくあるスピリチュアル系の、ちょっとあやしい話として聞き流していたのでしょう。

でも、僕の中ではバシャールが語っていることはスピリチュアルではなく、物理学なのです。

量子力学の世界観を知っている人なら、バシャールが提唱する多次元世界(パラレルワールド)は、十分にあり得ることだと理解できるでしょうし、僕にとっては、この「現実味がある」という要素こそがとても重要で、これがバシャールの大きな魅力だと思っています。

ロジカルに物事を考えることは、人類の繁栄の基本的要素だと思います。例えばスマホなんていう科学技術の結晶は、まさに、ロジカルシンキングの賜物です。そのロジカルシンキングを、人生というテーマで極限まで突き詰めていくと、結局バシャールのメッセージに辿り着くというのが僕のイメージです。

バシャールの言っていることを上手に人生に取り入れることができれば、多くの問題を解決できると思います。少なくとも僕の場合は、人生における「最強の武器」を手に入れたという感覚なのです。

正直、バシャールの本さえ読んでおけば、自分がブログを書く必要なんてないとすら思っていたのですが、バシャールの言っていることをどう解釈するか、どう説明するか、という部分に関しては若干の余地があるとも思うんですね。

ですから、その解釈や説明の部分を中心に、このブログは書いていきたいとも思っています。

バシャールに出会う前の僕も、自分なりに、自分の人生哲学を完成させようと思っていたのですが、完成度80%あたりで、完全に止まってしまっていたんですね。残り20%の部分でどうしても迷う。どうしても分からない。そんな感じでした。

でも、バシャールに出会い、残り20%が完全に明確になったというイメージです。

ですから、このブログも僕なりの説明、僕なりの解釈が80%の割合を占めていくと思いますが、基本的にはバシャールが言っていることと同じだと、自分の中では思っています。

以上、バシャールとの出会いについてでした。